UTAU-BLOG 3

by YOSHIKI HORITA from iMAGINATIONS

心から心へ。ダライ・ラマ法王のメッセージ。

ダライ・ラマ法王から、新型コロナウイルスに関するメッセージが世界に届けられた。

親愛なる兄弟姉妹の皆様へ

世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中(さなか)にあります。

新型コロナウイルスの問題に加え、人類は、極度の気候変動といったさまざまな問題に直面しています。この場をお借りして、インド政府をはじめ、こうした問題に懸命に取り組んでおられる世界中の政府に称賛と感謝の念を表明したいと思います。

古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。

いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」

現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。

私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。

また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。

苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。

祈りを込めて

ダライ・ラマ

引用:

f:id:yoshiki_imaginations:20200404104730j:plainhttps://www.dalailama.com/messages/religious-harmony-1/establishing-harmony-within-religious-diversity 

敬愛する法王の言葉には、これまでも、何度も心が動かされている。それは、同じ時を分かち合い、寄り添おうとする真の愛が伝わってくるからだと思う。

来日されればできるだけ会いに行き、動画で講話を聞いたり、もちろん本も随分と読んでいる。本当の美しさに触れると、自分の中にある美しさを思い出すことができるのだと、いつも学ばせていただくばかり。今回のメッセージでも深く感じたのは、文字は目だけで見るものではなく、声は耳だけで聞くものではないのだということ。先日ここで紹介したメルケル首相の演説も、多くの人が、自分に向けて語りかけているように感じたはずだ。心まで届くのは、心から発せられたものだけなのだろう。

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僕の自主自宅待機は五日目となった。メールや電話以外の時間は情報収集に努めていたのだけれど、インドのゲストハウスでの微弱な通信環境から解放された反動もあり、ここ数日は朝から晩までパソコン画面を見ていたことに気づく。ただでさえ目が疲れる上、不安、苛立ち、怖れからの言葉に触れることもままあり、ちょっと距離を置かないと、と感じ始めているのが正直なところ。新型コロナと同じくらい、心に忍び込むウイルスの感染拡大にも意識を向けておかねばなるまい。


仏教には『無財の七施』という教えがある。七施の「施」とは布施のこと。そもそも布施はお金を表すものではなく、財はなくとも、仏と人に捧げる行為はできると伝えている。

1. 眼施(げんせ)
やさしい眼差しで人に接する

2. 和顔悦色施(わげんえつじきせ)
にこやかな顔で接する

3. 言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で接する

4. 身施(しんせ)
自分の身体でできることを奉仕する

5. 心施(しんせ)
他のために心をくばる

6. 床座施(しょうざせ)
席や場所を譲る

7. 房舎施(ぼうじゃせ)
自分の家を提供する

引用:

誰にも、どのような時にでも、捧げられるものはある。捧げる心は、つながりを思い出させてくれる。声でも、言葉でも、ほほ笑みだけでも、きっと心は通い合うことができる。