UTAU-BLOG 3

by YOSHIKI HORITA from iMAGINATIONS

新春

2020年。多くの人が「新型コロナウイルス」という肉眼で捉えられないものによって、目に見える影響をさまざまに受けながら日々を過ごしていた。一時は落ち着いたかと思いきや、年が明けると緊急事態宣言の再発令。今後どのような流れになっていくのかは、たぶん誰にもわからない。

二月から四月頃まで、インドに滞在するのが毎年の恒例になっている。すでにルーティンと呼べるようなもので、年間のリズムとして当たり前に組み込まれてきた。学びを深め、祈りに触れ、静かに瞑想し、沐浴し、知らない町へ旅をする。友人と行動を共にすることもあるが、基本的にはひとり。余分な思考が解かれていくのを感じながら過ごす、自分にとって大切な期間である。

今年はその予定を立てていない。日印の間を飛ぶ航空機は、11月以降、僅かに臨時便の運行を再開しているものの、便があったとしても果たしてどうだろうか。公式発表によると、インド国内の感染者数は今年に入ってからも連日四桁から下がらず、死者数は三桁を超える。データを直ちに鵜呑みとはできないが、デリーの友人と電話で話した様子では、都市封鎖が段階的に解除されているとはいえ、やはり緊張状態は続いているという。今は海外から訪れるべき時ではないのだろうと思う。それは怖れとは違う、お互いにとっての前向きな選択として。

当たり前とは、多くの場合、それが当たり前ではなくなった時に気づかされる。現代は「発展」と「安定」を目指して構築された世界だから、立ち止まることや、揺さぶられることに、きっと多くの人が慣れていない。仕事、移動、会うことさえ制限される中で、不安に襲われる人がいるのも無理はない。地震が起これば高層階が大きく揺れるように、積み重ねられた「発展」の上で暮らす僕たちは、予測外の非常時にはその分だけ足元が不安定になってしまう。

けれど、ここでもう一度、思い出してみたい。人はどのような状況にあっても、自由な意思を持ち、行動することができる。人類の歴史はそのように作られてきたのだし、生命あるかぎり全ては移ろう。自然界のあらゆるものは呼吸し、循環し、孤立したまま留まっているものなど何も存在しない。人工物に囲まれていると本当に忘れてしまいそうになるが、人間も大いなる自然の一部なのだ。

かつての奴隷制度、戦時中の不敬罪など、当時の世に蔓延していた「当たり前」は、21世紀には愚かな遺産として記憶された。さて、これからの「当たり前」は、僕らが歩く道の先にある。コロナ騒動を機に、自然とのつながりや、人とのつながり、そして自分とのつながりについて、価値の変化を実際の行動に移す人が多いように感じているが、みなさんはいかがだろうか。敬愛するサティシュ・クマールは「危機とは機会である」と述べている。今後の流れはわからなくとも、局面を正しく見つめ、愛と思いやりを深めることを学び、執着に気づいたら軽やかに手放し、目の前にいる存在との瞬間を喜び合う、そのように生きる選択はいつだってできる。暮らしでも旅でも、身を置く場所はもちろん大切だけれど、どこにいたとしても心の置き場はもっと大切なのだと思う。

未来から見た2021年が、よき変化への扉として記憶されますように。つながるみなさんの平和と幸せを祈っています。

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