UTAU-BLOG 3

by YOSHIKI HORITA from iMAGINATIONS

Happy Father's Day

一昨年、父親が亡くなった時。こんな大変なことがあるのかね、というくらい色々なことがあった。

実家はプロテスタントの教会で、父は牧師。親が亡くなるだけでも大変なはずだが、宗教法人の代表が突然いなくなるのは、経験ある人には同意いただけると思うが大わらわである。他にもあれこれと出るわ出るわで、知りたくないことまで知る羽目になるわ、葬式の数日後にはなぜか警察にいたり(被害者です)、兄弟の中でまだ所帯のない末っ子の僕が、消去法により多くを担当せざるを得ない状況となっていた。

そんな中で、僕はとても楽しんでいた。

もちろん悲しい。親が死んで悲しくない訳がない。何度も泣いた。

でも、楽しんでいた。なぜか?



あの日。もう動かない父のからだを前に、家族一同がシリアスな面持ちになっていた。その中で、自分もかなりシリアスになっていることに気がついた。そんな時、

「楽しくない」

という声が聴こえた気がした。続いて、

「今この状況で楽しめることは何か」
「今この状況で成長できることは何か」

と、これははっきり聴こえてきた。何度も、何度も。

父は笑いが好きな人だった。
そして勉強熱心な人だった。

これが、父のメッセージだったかどうかは分からない。でも、その声には、そうするしかないだろうと思わせる力があった。

父の心臓は奇形で、医者から二十歳まで生きられないと言われていたらしい。それがこうして85歳まで。大往生である。そして、今は神様とひとつになった。これまで見たことのない、本当に安らかな顔をしていた。最高の人生だったのではないか。もう話ができないのは寂しいけれど、彼が何の心配もないように、気持ちよく送り出したかった。


まずは家族を笑わせたり、リラックスしてもらおうと思った。母親には寄り添っていようと思った。夜は、父と、母と、僕とで川の字になって寝た。母は少し安心したようだった。

同時に、初めてばかりのこの状況、分からないなんて当たり前なのだから、何でも真剣に学ばせていただこうと思った。

すると、全てが新鮮な体験となって、がぜん元気が涌いてきた。シリアスな重苦しさから、一気に開放されたような気分だった。

それからは、ひとつひとつの経験を、すべて楽しい学びにすることができた。今まで知らなかったことも、たくさん見せてもらえた。葬儀屋さんと仲良くなって、葬儀あるあるを聞かせてもらったりもした。基本、行きたくない時にしか行くことのないであろう警察にも「こんな機会はなかなか無いぞ」と、ちょっとした潜入気分を持って行けた。

当然のごとく面倒なことも、嫌な思いをすることもあったが、楽しめることを見つける機会、成長できる機会と考えると、過酷な岩壁に挑むクライマーのような力強い気分でいられた。

葬儀の後の数ヶ月は、毎月、時には月に二度三度、札幌と東京を行ったり来たり。家の用事の間は仕事もできず使うお金のほうが多かったが、そんなもん何とかなるという自信があった。実際に、不思議な助けとしか思えない出来事が続いたりして、何とかなっていったのだった。


しばらく経って、家が少し落ち着いてきた頃に思った。

父親が死んでもこういう気持ちでいられるなら、もう大体のことは大丈夫じゃないか。

それまで気がかりだったいくつかのことは、すでにすっかり小さくなっていた。

ひとつの出来事を深刻にしているとすれば、それは自分の頭の中の話なのだと。そんなふうに思えていた。

親はこうして、最後の最後まで我が子を育ててくれるのだということを知った。



話は変わって今年の三月。

四度目となったインド旅、最終日の前日。デリーのローカルバス車内で財布をすられた。

いつも旅の時には、現地通貨を入れておく小さな財布をすぐ取り出せるようにして、日本で使っているメインの財布はショルダーバッグの奥へ。バッグは前に抱えて持っていたはずだが、手品のように、見事にメインだけをやられた。日本円、カード類、楽器店などで必要なそこそこまとまったインドルピーが入っていた。

バスを降りたすぐ後に入ったカフェで気づいて、日本語が達者な旅行会社のインド人に事情を説明すると「あのバスはインド人でもよくやられるよ。スリ集団がいるのだ」と教えてくれた。一応警察には行ったが、噂に聞いていた通りで、書類を書く他は何をしてもらえるでもなかった。日本大使館に電話すると「家族にお金を送ってもらって下さい」と言われた。

所持金、600ルピー。小銭入れには350円。

なのに心はとても静かだった。焦っても、心配しても出てくる訳ではない。この世に絶対はないというが、デリーで財布を失くして手元に戻ってることは、絶対にない気がする。だったら楽しむしかない。

まあ、現金もカードもないが、航空券はある。パスポートもある。ラッキーだ。明日の夜、空港まで行くことができれば日本には帰れる。デリーに戻ってくる時の列車チケット代を払うことになっていたが、帰国してから送金すると頼み込んで、待ってもらえることになった。食事はあと一日、最低限だけ食べられればいい。友人たちへお土産を買えなくなったのがちょっと申し訳なかったが、お土産話がひとつ増えたので、それで楽しんでもらおうと思った。

待てよ、成田では楽器を運ぶためレンタカーを借りている。これも後払いにしてもらおうか、できるのか? と考えた時に、はっと思い出した。友人の立川奈緒子ちゃんが、数日前「義樹さん、いつ日本に帰るの?」とセドナからメッセージをくれていて、なんと帰国日が同じだったのだ。僕は朝の到着、彼女は午後到着だったので、会うのは難しいかと思っていたのだが、事情を説明して待ち合わせることになった。すると彼女のほうも、迎えに来てくれるはずの車が急に来られなくなり、困っていたのだという。奈緒ちゃんとは、時々こういうタイミングが合う不思議な仲である。

翌日、デリー空港にはルピーがほとんどない状態で到着し、機内では食事をとことん味わって食し、成田に着いて奈緒ちゃんを待つ7時間の間はカップヌードルと1リットル100円のコンビニ茶で空腹を凌ぎ、その後無事に合流。レンタカー代を貸してもらって、彼女を送ることもできて、この日は空がとても美しく、「何か食べたいよね」「久しぶりの日本食だもんね」「何がいい?」「うなぎ!」「うなぎ!」と、食べたいものまでピタリと合って、目黒の宮川さんで美味しい鰻をいただき、帰路についたのだった。二人で久しぶりにゆっくり話せて嬉しかったし、快く助けてくれて本当にありがたかった。女神。

財布と中に入っていたいろいろは無くなったが、そこでしかできない、お金を払ってもできない貴重な経験をさせてもらった。


「今この状況で楽しめることは何か」
「今この状況で成長できることは何か」


父とは、亡くなってからのほうが、それまでよりずっと近くにいるように感じる。あの日があったから、どんな時でも、何が起きても大丈夫だと、今では当たり前に思わせてもらっている。楽しむ気持ちを持ってこそ、本当の意味で自分と、人と、物事と、向き合うこともできるのだと思う。深刻になって、いいことなんて何もないのだから。


帰国後、しばらく財布がないまま生活していたのだが、昨日やっと気に入ったものが見つかって購入。父の日が近いので父へのプレゼントとして、神棚に捧げた後、それを“お下がり”として、僕が大切に使わせてもらうことにしようと思った。

Happy Father's Day.

f:id:yoshiki_imaginations:20160615143653j:plain


6月、7月 イベントスケジュール:

6月18日(土)東京 銀の鈴
『第七回 初歩からのボーカルトレーニング 特別体験講座』

6月19日(日)東京 Morning Lights Voice Therapy
第三回『キルタンのリードをしてみよう!』

6月20日(月)京都 TAMISA
うたうヨガ キルタンの夕べ

6月21日(火)京都 Nadi
ワークショップ『はじめてのキルタン』

6月22日(水)大阪 ココプラザおおさか
プライペートレッスン(マンツーマン or 2名)

6月22日(水)大阪 ココプラザおおさか
キルタン

6月23日(木)神戸 スペースわに
音瞑想 キルタンの夜

6月25日(土)広島 エコデザイン工房
堀田義樹『〜うたうヨガ〜キルタン』& サトケン『食や美、身体の話』

7月1日(金)新潟 関川村
Early summer キルタン

7月2日(土)新潟 燕喜館
『本当の自分とつながる』声と呼吸のワークショップ

7月4日(月)東京 ito m studio
新月のキルタン with Mikiko

7月8日(金)〜10日(日)北海道 知床
日本の三大世界遺産、知床リトリート with サトケン

7月17日(日)東京 Morning Lights Voice Therapy 
第四回『キルタンのリードをしてみよう!』 

7月19日(火)〜22日(金)屋久
『ヨガとキルタン 夏の屋久島リトリート』with ぬん

東京でのレッスン、個人セッションはこちら。
http://www.morning-lights.net/