UTAU-BLOG 3

by YOSHIKI HORITA from iMAGINATIONS

スケジュール変更と、読み返した『夜と霧』のこと

帰国してから十日あまり。今月と来月に予定されていた各地の変更について、ほとんどの内容がまとまってきた。

止むをえず中止となった久高島リトリートの他は、延期、またはオンラインでの開催になる。今日時点での情報も載せつつ、順次更新しているので、詳しくはスタジオホームページをご覧いただきたい。


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・4月5日(日)東京 高尾 常福寺 * 延期
『高尾 1day リトリート』with 石井タカシ(シンギングボウル), 富岡和也(アーユルヴェーダ料理)


・4月8日(水)神戸 * 延期
『MOMOYO マジカルイニシエーションセミナー』ゲスト出演

・4月10日(金)神戸 元町 スペースわに * 延期
『しあわせについて、豊かさについて、話をしよう vol.6』with ぬん 

・4月10日(金)神戸 元町 スペースわに * 延期
『ちょっとえいご』わにえいご vol.32 with ぬん, ECO 

・4月11日(土)神戸 元町 スペースわに
 * 延期
『ヴォイスワーク & キールタン』 

・4月12日(日)大阪 堺 いとまんま * 延期
『キールタン会とインドの旅のお話会』 

・4月13日(月)芦屋 ディエステガーデン
 * オンラインに変更
『プライベートレッスン』 

・4月15日(水)埼玉 MITハウス * 延期
『〜2020 春の宴〜 光・音・呼吸』with KNOB(ディジュリドゥ), Chie(アワ歌)

・4月18日(土)〜20日(月)沖縄 久高島 * 開催中止
『女性性をひらく、高める、久高島リトリート』with 聡子ブランストン, 明美キャンベル 

・4月20日(月)沖縄 玉城 八角 * 延期
『音魂瞑想 × KIRTAN』with 小嶋さちほ 

・4月23日(木)東京 ito m studio * オンラインに変更
『新月のKIRTAN』 

・4月25日(土)東京  Morning Lights Voice Therapy * オンラインに変更 
『Kirtan Song & Harmonium Lesson キールタンのリードをしてみよう vol.43』
 

・4月26日(日)神奈川 Ananda Yoga Studio * 延期
『Kirtan Gathering』with 相良真紀

・4月29日(水・祝日)西宮 Biotope Yoga Studio * オンラインに変更
『Vocal Flow ワークショップ』
 

・4月29日(水・祝日)西宮 Biotope Yoga Studio * オンラインに変更
『チャリティキールタン』with 今村幸子 

・4月30日(木)西宮 Biotope Yoga Studio * オンラインに変更
『プライベートレッスン』

・4月30日(木)西宮 Biotope Yoga Studio * オンラインに変更
『キールタンの曲と親しむワークショップ』 

・5月2日(土)〜4日(月・祝日)滋賀 チャクラん堂ハウス * 延期
『3Days Kirtan リトリート』


・5月9日(土)名古屋 善光寺別院 願王寺 * 延期
『声と呼吸を開くワークショップ & 祈りの歌 キールタン』

・5月10日(日)名古屋 鶴舞公園 * 延期
『YOGA LIFE NAGOYA』

最新情報はスタジオホームページへ:
https://www.morning-lights.net/


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全国の友人たち、主催をしてくれる仲間たち、共に学ぶ生徒たちと連絡を取り合う中で、しみじみ沁みてくるのは、ひとりひとりとの関係とその深さだ。もう何年も、家にいる方が少ないような生活をしてきたが、こうして立ち止まる他ない機会を与えられ、もう一度みんなと、丁寧に出会い直している気がする。離れているぶんだけ近づいていく「きらきらとしたなにか」がお互いの間にあるのを観ている。

正直、インドでの後半から今日まで、涙のにじまない日はない。ご縁、つながりこそが人生最大の宝ものだと、今なら何の迷いもなく言える。イベントなどでは集まることは、ひとつの形であって、それ自体が目的なのではない。同じ時間を過ごしながら、お互いの人生を祝福したいのだ。「自分だけ」の喜びなんぞ、あまりにちっぽけというか、本当の意味では存在すらしない。少し考えてみれば分かる。すべての命は関係性の中でしか生まれないし、生きられない。だから、それを真に実感できた瞬間、僕たちはあらゆる感情を超えた真理とつながり、歓喜に包まれる。たとえ取るに足らなく見えるような一日にも、そんな喜びが、生きる意味を思い出させてくれる。

非常時ほど本質が表れると感じるのは、もちろん、ふだん関わりのある人だけではない。遠征がなくなり交通・宿泊もすべてキャンセルしなくてはならず、ほとんどはウェブサイトからの手続きになるのだけれど、直接のやりとりが必要な場合もあった。沖縄のある宿のオーナーさんは、「堀田様が落ち着いた生活を送られることをお祈りしております。」「情勢が回復しましたら、沖縄へお越しいただけることを願っています。」など、など、まるで旧い友人のように、目と目を合わせ、手と手を握っているかのような丁寧な対応と言葉で、会った事もない僕を気遣ってくれた。この状況下、宿泊施設が受けるダメージの大きさは想像に難くない。それを微塵も感じさせない温もりに、余裕で(?)泣けた。落ち着いたら必ず行こう。沖縄に、というか、もはや彼に会いに行こうという気持ちになっている。


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『夜と霧』をご存知の人も多いだろう。第二次世界大戦下、ナチス強制収容所に収容されたヴィクトール・E・フランクルが、限られた生存者として綴った壮絶な日々の記録だ。20世紀最大の名著のひとつである。

人間としての尊厳を強引に剥奪された極限状態。そこでの日常とは、陰惨な暴力(言葉の暴力も含まれる)と、目前にぶら下がる死への恐怖。そのような生き地獄の際にあっても、フランクルの眼差しが追っていたのは、人が(本作によれば、ひと握りの、かもしれないが)持つ、根源的な美しさだった。

ユーモアや芸術を分かち合う者、友人に贔屓するでなく誰の顔も見ず公平な量のスープをすくう厨房係の男、数日のうちに死を迎えることを悟りながら「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなひどい目にあわせてくれたんですもの」「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」と話す若い女性、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、飢えた自分よりもさらに飢えた人にパンを譲っていった人びと…。

揺さぶられるページは数え切れないが、何度読んでも心が「はああ、、」とさせられる箇所をひとつ引用したい。

わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのに、ーーあるいはだからこそーー何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。(略)

ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの碗を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたり込んでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。

そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、黒鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。

わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、誰かが言った。

「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」


 もうひとつ、全体をつらぬく主題ともいえる一文を。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。


インドでロックダウンが決まった時、帰国したら読み返したいと思っていた中の一冊が『夜と霧』だった。出版から70年以上にわたり世界中で読み継がれている理由は、決してひとことで表せるものではない。ただ、命の言葉は種子のように、国境も時代も飛び越えて、人びとの心に根を伸ばし、育っていくものなのだろう。上に紹介した一文に、なにも感じない人がいるとは、僕には思えない。どのような状況にあっても、自由であること、優しくあること、美しくあることは、自らの選択によって可能なんだろうか。この本に書かれているのは答えではない。決して終わることのない問いかけだと思う。

まったく大げさでなく、先が見えない今だけど、フランクルは僕たちに語りかける。「それでも人生にイエスと言おう」と。

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夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル (著)

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