今年のインド 覚え書き
帰国してから、あっという間に二週間が経ち、四月。早い。
インドにいると、どうしてゆっくり時間が流れていくのだろう。
まだ夢と現実の間をうろうろしつつ、少しずつ日本に混ざって行くような。
それもまた、面白い感覚なのだけれども。
思えば、初めてインドに立ってから、もう6年目となった。
こうして毎年通うことになるなんて、当初、考えてもみなかった。
これまでは、用事があるので行っている、行くしかないと思っていた。
キルタン、バジャン、マントラを学んでいるから。
滞在中は、楽しいこともあるし、そうでもないこともある。
いい人もいるし、そう思いたくても思えないような人に会うこともある。
面倒なこともあるし、時には苛立つこともある。
それでもこうして通っているのは、もちろん学びたいことはあるのだけれども、
今回はっきりと言葉になった。
インドが好きになったんだ。
北インドしか行ったことがないので、インドが、とは言い切れないが(何しろあまりに広すぎる)、
いつも滞在しているリシケシは特に大好き。
いろいろあるけど、好きだから来てる。はっきりとそう思った。
一年の内に、こうしてしばらく日本を離れる時間が取れるのもいい。
離れて見える日本がある。離れてしか見えない日本がある、という言い方もできる。
インスタグラムに、インドでひとりごと、と題して思いついた言葉を綴っていった。
閃いたものだけを何も考えずに書きなぐる中、今なにを感じているのか、自分でもたくさんの発見があった。アップした何倍もメモをしたためていた。
ある日、五名のインド人と山に登った。リシケシも、さらに向こうのハリドワールまでも見渡せるNeelkanth。山頂の周りはジャングルに囲まれていた。
そこでの、果てしなく緩やかな時の流れで感じていたのは、
自然の中にいると自分も自然の一部のような気持ちになってくる
機械の中にいると自分も機械の一部のような気持ちになってくる
ということ。
インド旅ではおなじみの話だが、移動はまず予定通りにいくことがない。
特に長距離の場合、鉄道で目的地に到着するのが時刻表通りだったことは、僕は一度もない。
これまでに経験した中では最大12時間遅れ。夕方到着の予定が、明け方である。
しかし、乗客の中に、怒っている人はひとりもいない。
そうなったら仕方がない、という雰囲気が、鉄道でも、それ以外でも、そこら中に転がっている。
宿にて、シャワーのお湯は出なくなる。
街にて、「明日の○○時にもう一度お店に来るように」と言われ、約束の時間に行ったらまだ開いてない。
食堂にて、ビリヤニを頼んだはずが「切らしちゃったからこれで」と似たような別の何かが出てくる。
どこでも、毎日のように停電がある。
はっきり言って、もう慣れた。
今ではこういったゆるさが、むしろ心地よくさえある。
インドから帰ってくると、少し優しくなっている自分に気づく。
「まあまあ、のんびり行こうじゃないの」という気持ちになっている。
「こうじゃなくてはいけない」という決め事が減っている。
思い通りにならず、いちいちイライラしていても、何もいいことはない。
時間通りに電車やバスが来る、という奇跡。
海外4カ国、10数回程度の僕が知ったようなことを書けないけれど、
世界中を旅している友人に聞いても、そんなの日本だけだという。
なのに、数分遅れてキレる人たち。
人身事故が起こると「急いでいるのに何してくれるんだ」と言う人たち。
奇跡も当たり前になると、そうでない状況、予期せぬエラーが許せなくなるのかもしれない。
失言やゴシップで、寄ってたかって言葉の袋叩きに合う人が、ここ数年たびたび目に入る。
誰かの失敗を許せないのは、自分も失敗をする存在であることを忘れてしまっているのかもしれない。
機械の中にいると自分も機械の一部のような気持ちになってくる。
でも、人は機械ではないの。
途中、長年の友である田内万里夫くんが合流して、一緒に旅できたことは今回のスペシャルギフトだった。
彼にとっては初インド。日頃から本当にいろんな話をしているのだけれど、インドではまた一段と盛り上がった。
デリー、ヴァラナシ。歩きながら、チャイを飲みながら、月を見ながら、尽きぬ会話。
彼と話して、言葉にして、気づけたこともたくさんある。
その中で「インド人はどこから見てもインド人なんだけど、誰の顔を見ても個性的なんだだよね」という話題になった。
これは僕がインドへ来るたびに確信を強めていることである。
金子みすゞの “みんな違って、みんないい” は、インド人の顔にこそふさわしい詩だ。とにかく、どの顔もいい顔をしている。
なんというか、そのまんま! 的なエネルギーに満ち溢れている。
屋台に並ぶ野菜や果物が、ひとつひとつ違う顔をしているように、
それを口に運ぶと、しっかりとした自然の味がするように、
生命の力がダイレクトに感じられるから、なのかもしれない。
そのまんまで生きているいのち。
マリオくんもすぐに馴染んでいた。彼もまた、そのまんまの人だから。
帰国して、駅前の大きなスーパーへ行くと、
同じ顔をしたトマトやキュウリやレタスやいろいろが並んでいる。
わたしたちの体は、食べたもので作られて行くらしい。
わたしたちの心は、何で作られていくのだろう。
もう一度考えてみたい。
わたしたちは、今、どんな中にいるのか。
離れて見えることが、確かにある。
今回のインドであらためて、自分の胸にはっきり浮かんだのは、
もっとゆっくり行こう、
もっとゆっくり見よう、感じよう。
あんまり早いと見えにくい、触れられない、嗅げない。
ということ。
インドの話、つづく。
イベント、ワークショップ、講座スケジュール:
・4月9日(日)東京 Morning Lights Voice Therapy
講座『キルタンのリードをしてみよう!』
・4月11日(火)東京 アトムCSタワー
『満月の音瞑想』with 石井タカシ
・4月26日(水)東京 ito m studio
『新月のキルタン』
・4月29日(土)30日(日)滋賀 チャクラん堂
『キルタン合宿』
・5月3日(水)4日(木)5日(金)長野 飯綱OASIS
『ヨガとキルタン 聖地戸隠 新緑のリトリート』with 出口眞喜子
・5月6日(土)東京
『インドの旅のお話会 〜2017春〜』
・5月7日(日)東京 Morning Lights Voice Therapy
講座『キルタンのリードをしてみよう!』
・5月14日(日)東京 ito m studio
『Nada Yoda ワークショップ』&『キルタン、チャンティングコンサート』with タニグチユキ
・5月26日(金)東京 会場未定
『新月のキルタン』