響き合うということ。
響き合い。
それは、自分が生きる上でもっとも大切にしていることのひとつ。
先日の広島ツアーで、福ちゃん(福田孝史さん/つばさ整骨院)がこんなことを話してくれた。
「前に義樹さんがワークショップで言ってくれたこと、全国で言いまくってるんですよ」
今や大人気で引っ張りだこの福ちゃん。広島はもちろん、本当に全国各地いろいろなところで「福田さんが義樹さんのことを教えてくれて」と、僕に会いに来てくれる方がいらっしゃる。とても嬉しく、ありがたい。
僕がライブやワークショップでお伝えしているのは、自分の中で確信があることだけ。つまり自分が体験して、がっちり響いたことだけを分かち合っているつもりだ。だからその響きを正直にみなさんの前へ差し出して、受け取ってもらえる、さらにフィードバックがあるというのは、共振が増幅していく感覚。ものすごく感動する。
音楽を例にすると分かりやすいと思う。ピアノで「ド」の音だけを鳴らす。次に「ミ」の音だけを鳴らす。単音にはそれぞれが持つ役割とキャラクターがある。そして「ド」と「ミ」を同時に鳴らす。すると、ひとつの音だけでは聴こえなかったハーモニー(調和)と、倍音がそこに生まれる。
人と人でも同じだし、人と土地でもそう感じている。響き合えると、調和と倍音が現れて、決してひとりだけでは生まれなかったものが、そこに登場するのだ。僕はその時に生きている実感を得る。ひとりではない理由を知る。それらを見る、感じるためこの世に生まれてきたのだとさえ思う。そのためにはまず、自分の内側の響きを正直に差し出すことだ。借り物の言葉を自分のふりして並べたところで、そこで見えるものなど知れている。
そして、共に時を過ごす相手の響きも感じ取る。思い込みではなく、ありのままを感じ取る。歌う時には楽器の音を、ただそのまま感じに行くように。
自分が! 自分が!
私を見て! 知って!
こういう気持ちだけでは響き合えることがない。自分の話ばかりしている人が、自分の話ばかりしている割に楽しそうに見えなかったり、貰うことばかり考えている人が、持っていく割に小さく見えてしまうのは、響き合うという大きな大きな幸せを見過ごしているからではないだろうか。
お互いの中にあるものを分かち合うときに、それは必ずやってくる。しつこいようだが、そのためにはまず自分から。
家へ帰ってくると、いろいろな場で出会った人がメールや手紙を下さったり、ブログやFacebookにその時のことをシェアしてくれていたりする。言葉の表面だけではなく、奥にある真意が伝わっていることを感じると、とても幸せでじーんとする。響き合えたものがより大きく、美しくなる瞬間。生きててよかった。そう思うと、またあらたな力が湧いてくる。