五感、あるいはそれ以上の。
ヴァラナシでホーリー(ヒンドゥー教の祭り/世界三大過激祭りのひとつといわれる/今年は3月6日)を迎える前日から、どうも体が熱っぽかった。
そこから体調がなかなか回復せず、その後二日間は腹部の痛みも加わって完全にダウン。旅でここまでの状態になったのはこれまででも初めて。インドも三回目にして、ついにでかい洗礼を浴びた感じ。
次の目的地であるリシケシへ向かう3月9日の朝、なんとか動けるくらいにはなって、少し迷ったけれど出発を決めた。移動は鉄道とバスで21時間以上に及ぶ。正直、心身共にかなりしんどい修行。このあたり本当にいろいろあったが、今回の主題以外のことはまたあらためて書くことにしよう。
リシケシに着いた日。まだ体調は万全ではなく、加えて移動の疲労もあった。でも、どうしても歌の練習に行きたくて行きたくて、先生に連絡した。
15時から1時間みっちり練習できた。
すると、
もの凄ーーく元気になった!
慣れてきたとはいえ、インドで。熱と、痛みと、孤独。
寝込んでいた時は雑巾みたいだったけど、きれいに漂白された気分。感動。
こうして、今まで何度も何度も歌に救われてきた。
確信を持って言える。
歌って本当に素晴らしい。
今日からまた、一段と深く力強く、同じことを言える。
理屈ではない。五感、あるいはそれ以上の感覚で知ったこと。
そう、僕にとって「知る」とはつまりこのことに他ならない。いのちの体験なのだ。
誰かが言ってるから。何かで読んだから。流行っているから。とか。それらは確かに扉にはなることがある。けれど、本質そのものではない。本質は己の体験の中にしか存在しないのだと思う。
真剣に続けていることでのみ見える景色がある。僕は、頼まれてもいないことを人様に伝えようという気持ちが薄いほうだが、自分に出来ることを「教えてほしい」 と言っていただくのなら、全てありがたくお伝えしたいスタンスでいる。その時は、知っていることだけを、心を込めて、分かち合う。